02.11.14:08
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12.30.18:57
歪な日記。
ここは言うなれば、
“歪な日記。”
そもそも日記それ自体歪になってしまうだろう。
その日々それ自体歪であった。
だからここに続けている意味は無い。
だからこそ今も続いている。
意味を見出せば、陳腐になってしまうし、
意味を見出せば、続きもしないだろう。
取り敢えずは今も続いていて、
取り敢えずは今後も続くようで。
終わりが来るというなれば、
それはここのサーバーの問題。
情報が共有されやすいこの時代には、
その情報の脆さも露呈する。
永遠と思った情報は、
新しい情報に打ち消されたり、
サーバーが存在を留めれなくなったり、
コピペという名の伝言ゲームで
情報は何度も改変されて、
本当はなんだったのか、誰も分からなくなる。
だからなんだという情報が溢れて、
本当に重要な事は伏せて。
見つけにくい隅っこにある本心を、
本当に知れているだろうか。
誰かが教えてくれる訳じゃない。
意外に自力でどうこうする事が必要で、
まぁ只どう検索するかだけだけども。
沢山のグロ画像にグロ動画。
手術動画を見ながらご飯を食べて。
面白いけども頭を使う動画はたまに見て、
享楽的な動画や情報に流されて。
最近の遺伝子科学では、
享楽的な行為で生成される遺伝子物質は、
ストレスを受けた時と同じものが出るそうで。
ということは、
やはり罪悪感を感じているのだろうか。
だからといって、
どうという訳でもないけど。
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12.19.04:25
知る事も無し。
知る事も無し。
何もかも。
全て自分の手から離れていく。
自分のいない間に、
全部離れていく。
自分が居なくても、
それは続いていく。
存在意義は存在しない。
存在する事すら、
第三者の都合で作られたというのに、
何処に存在意義があるというのか。
今は誰もいない。
居たとしても、何て空虚なんだろう。
実体は無く、
ただ都合の良い相手以外の何者でもない。
この世界は不条理だ。
他の動物が生きるをするのに、
どうしても嫌になってしまう。
好きだけど、苛める。
それが辞められないということは、
やっぱり、私は人間として不完全。
見た目も性格も大嫌いだ。
苦労はしても、
それは無意味で、
努力の方法を間違っているんじゃなく、
努力は無意味だということで。
何が木星だ。
何にもありゃしない。
今までもそうだ。
その木星が一体自分を変えてくれただろうか。
いや、全く無かった。
全く違うところで、思うことが出来、
全く違うところで、悪いことが起きた。
何が占いだ。
何が未来が分かるだ。
暫く占いには手を出さないことにする。
もしかしたら、永遠に。
12.16.22:45
新しい曲をよしとしない。
新しい曲をよしとしない。
新しい物を受け入れる抵抗。
Vocaloidの曲を沢山知って、
いつも最新を抑える人達やら、
とにかく最新の曲を常に消費出来る人達について。
常に私はそれが苦手で。
その割には沢山の曲をそれなりに聴くのだけども。
だけども、琴線に触れる曲というのはそんなに多くないし、
その琴線というのも、如何せん曖昧なもので。
正直何度も聴けば、何の曲だろうと愛着は湧く。
それで考えれば、その好きな気持ちというのも
実は聴き慣れたリズムだとか、
同じようなテンプレ曲なのかも知れない訳で。
環境に左右された音楽の感性。
そして新しいリズムを受け入れるのはもっと苦手だ。
そして所謂、ゴリゴリのJ-POPだとか、
そういう類は特に好きになれない。
無理矢理耳にねじ込まれるイメージを否応無く持つ。
だから尚更嫌悪感が増すというところだ。
新しい曲を好きになるかならないかは、
冒頭5秒~10秒で決まると思っている。
そもそも冒頭が好みじゃない時点で、求めているものと違うなら、
それはその曲自体が違うという事と同意義である。
冒頭が好みでも曲が違うという事はよくあるが、
冒頭が好みじゃなくても、曲は好きという事はあまり無い。
つまりそういうことだ。
だからこそ、違うイメージを携えた曲達が
怒涛の様に迫るこのご時世に、
それを口を開けて受け入れる人々というのは、
どんな消費の仕方をすればそうなれるのか全く分からない。
自分は好きな曲を好きなだけかけるだけで精一杯なのに。
高すぎる感性を持つと、
新しい曲の中に自分の“お気に入り”を探すのは大変だ。
だから、音源は何年も前に手に入れていたけど、
今になって好きになる曲は幾度となくある。
その良さを知るには何年もかかるというのも、
意味があると思うのだけど、少しそれについて言及したい。
何故何年も前に知っていた曲を今になって好きになるかということなのだけども、
その理由の一つとして、
スタート地点が違うということが言えると思う。
例えば、私はポルノグラフィティが言うなれば、“音楽の原点”だったと思う。
そしてJ-POPの聴き慣れたリズムに、
ROCKという新しいジャンルに感化された。
そしてそのROCKな曲調を聴き慣れていくと、
そのROCKと近いPUNKというものに出会う。
そしてPUNKなバンドの中の曲で、バラードな曲に出会う。
そしてそのバラードな曲調を聴き慣れていくと、
JAZZ風な曲調と出会う。
そしてJAZZ風な曲調を聴き慣れていくと、BOSSAな曲に出会い...
そのようにたどれば、今まで音源は持っていたけど、
その価値に気づくというのが遅くなるということになる。
聴き慣れたメロディーは受け入れも早いし、
これはいい音楽だと思うのも、聴き慣れたメロディーである必要があると思う。
つまりそういうこと。
12.06.13:19
タワレコのポップ。
タワレコのポップ。
人生強制終了ボタン。
つい最近、妹はRIP SLYMEが大好きになって、
そのCDのフラゲの為にタワレコに行ったのだけど、
その前にRAD WIMPSの五月の蠅というシングルCDを買ってて、
本当はキンキキッズのCDを買うつもりだったんだけど、
LIVE抽選券に釣られたのです。
んで、その五月の蠅という曲が、恨み辛みを書いた曲で、
自分は凄く気に入っていたのです。
こんな気持ちになる事って人生には何度かあって、
それを開放させてくれる。そんな曲なのです。
そのシングルCDのタワレコのポップについて。
“この曲は賛否両論ありますが、
これだけ人を想えるのはすごいですね。”
という感じの事が書いてありました。
なんというか、正直、読まなけりゃ良かったと思った。
そもそも賛否両論ってのがおかしい。
賛同も否定もされようって感じの曲じゃないじゃないか。
だから大っぴらに宣伝も見てない。
例えそれが事実だとしても、それで客人の気持ちを害すという事が分からなかったのか。
そして、“これだけ人を想えるのはすごいですね。”というのもどうかと思う。
本当に人を恨んだ事が無いのか。幸せだなと。
この歌詞を見てそう思うのだから、物凄い楽天家なんだなと。
そこにあるのはどう考えても純粋な恨み。
RAD WIMPSの絶体絶命や、アルトコロニーの定理というアルバムを聞けば分かるが、
ここ最近の歌詞は、完全に病んでいる。
まぁ前からその兆候はあったけども、ここら辺の曲の歌詞は完全に病んでいる。
というより、病んでいないと出ない発想が多い。
だから聞いてて気持ちが分かって気持ちが良い。
でも完全に悪くはなれないそんな予定調和的な歌詞は、
自らが逃れたい気持ちが入ってるのかと思う。
そんな彼が最初から最後まで一気に書き殴ったようなこの歌詞に、
何処にそんな猶予があるだろうか?
他の人の感想は要らないと思ったのは、結構ある。
作品については特に。
美術も、本も、ドラマも、そして一番は音楽。
音楽については、アーティストそれ自身には特に興味が無い。
どんな馬鹿だろうと、阿呆だろうと、性悪だろうと、特に意味を持たない。
その曲が好きで、だから聴いてる。
それだけで十分だし、それで完成している。
それ以上の必要を感じない。
背景の説明が要るのは、美術に関してぐらいしか思わない。
他に理由が知りたいかと言われたら、別にどうでもいい。
その自分の好きな曲が変わってしまうぐらいなら。
同じ理由で、PVもあまり好きではない。
イメージが固定されるってのが強くて。
勿論、PVから好きになった曲だってあるけども、
あまり好ましいとは思わないのは自分だけなのか?
音楽っていいよね。
でもアーティストそれ自身には、特に興味は無いけども。
11.21.06:54
自分とネットについて。
自分とネットについて。
特にはニコ動とか。
色んな人に出会った。
コメントだけの人もいるけど、
それは、やっぱりその人だし。
そして、案外ドライだ。
勿論距離的なところが大きいけど。
肝心な時に頼りに出来ないというか。
遠慮するというか。
だからといって、現実の友達に頼るかと言われたら、
そういう訳でも無いのだけど。
自分は思ったよりメンタルな人なので、
自分が思うよりきっと頼りたいのだろうけど、
どうにもこうにも出来なくて、
自傷だったり、無理に辛くなる薬を飲んだりする。
一人の時間は自分を追い詰めるし、
家族の他に話す人がいなくて、
疎くなっていく。そんな感じがする。
自分の出した結論に、
どうすべきなのか決めたはずなのに、
切なくなる。
全部忘れてしまおうとか、
まだ精神の安定がままらないまま、
そのまま進んで大丈夫なのかとか。
今日は夜寝てないとか。
必死で生きる意味が無いとか。
全部忘れることで、
全部払拭されるだろうか。
全部取り払うことが、
本当に、それでいいんだろうか。
私は余計な知識を沢山身に付けてしまった。
情報社会の中で、情報を使っていたように思っていたけども、
情報に踊らされていたのは私で。
だからなんだという情報ばかり。
気持ちを封じ込めて、
第一印象は何度も塗り替えられて、
感想は素直になれなくなって。
それが大人なのかもしれないけれども。
子供の感性をまた取り戻したいとも思わないけど、
だけど、きっと、
その方が楽しく過ごせたのかもしれない。
リスクを知るだけの生活。
それで心が休まるはずもなく。
また不安が煽るのだから。
多分私はこの世界で生きるには、
敏感すぎたんだと思う。
感性も強過ぎてしまった。
そして考えるという事を止めれない脳は、
もっとどうにもならなくなってしまった。
知りすぎて。
分かりすぎて。
前向きに考えられないタイプの人間は、
いなくなる事を損とは思わない。
むしろ、当然の結果だと。
眠気が来たので、ここら辺で。
