08.10.20:03
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11.24.04:06
おやすみプンプン。
おやすみプンプン。
新しい思い出になるもの、今までの思い出のもの。
ネタバレは無い。抽象的に。
新しい音楽にも聴き慣れた音があれば、
やはり心躍るもので。
滅多に女性ヴォーカルの曲は聞かないのだけども、
久々にiTunesの仲間入り。
10年ぶりに漫画を購入。
10年前の漫画はデスノート全巻。
今回は“おやすみプンプン”という漫画で。
評価はどうもあまり芳しくなさそうだ。
ラストの締めが何やら彼やら。
しかしながら、私にとっては最高の終わりであった。
この漫画は心理描写がかなり巧みだ。
それはそこら辺の小説を超える。
そして漫画なのに、とてつもなく小説的だ。
何故かと言うと、例えば小説はとある街、
基本的にファンタジィはあまり読まないので、現代の街中を想像する。
そして地名やら、雑踏やらが想像されるのだが、
それが想像ではなく、そのまま絵として表現される。
想像をそのまま写し込んだその絵は、やけに現実的に浮かび上がる。
登場人物達も分かりやすい。
自分基準で考えても、理解のしやすい、言うなれば感情移入しやすい性格であった。
今思えば、感情移入をしやすくしていた小さな心遣いが存分に散りばめられていたのだと思う。
しかしながら、流してしまいそうなその行為が、人物を生々しく表現されうるのだろうから、
やはりそれは必要であった。そして置いて行かれなかった。
その偶然は、その行動は、辺鄙な様でいて、驚く程現実的だ。
ここに存在してもなんのおかしくもない。
否、そもそもここに存在するものはこの漫画より奇なり。
それぞれ何かを背負いつつ、だけどもいつまでも続くような坂道を転がる。
悲劇の終焉へ向けて。
前を向くもの、後ろを向くもの、足元を見つめるもの、遠くを追うもの。
病的な程の執着心。無理矢理に前を向く。
二人の相対する女性は自分を見てるようだと、吟味した時に気付いた。
割と直接的に、何度か彼氏の首を絞めたのだ。緩く。
殺すだの、死ぬだの、そんな事は割と日常茶飯事であった。
そもそも鬱病を患っていた身。何度自殺を考えたか分からない。
でもだからこそ、異常な彼氏を殺したい意思が理解できて、
昔の自分を見ているような感じがした。
昔はもっと叙情的であった。抽象的であった。まさに近いものを感じずにはいられなかった。
そしてもう一人の女性の状態は今の私だ。
誰かに頼らずにはいられない。
考えているようで、自堕落。
無理矢理に社会性を身に付けて、納得しようとする横顔が、いやに印象に残った。
悲劇へと転がり落ちる。
だが、それでいい。
私は全てが丸く収まる事を望んでいなかった。
その葛藤をそのまま受けてくれてよかった。
この終わりこそ、主人公に関わった他の人達への供養なのだと思った。
そして繰り返されるのは悲劇ではない。
それを思いながら、
溶け込んでいく、姿が見えなくなるほど、溶け込んでいく。
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11.23.03:52
Sappho 80
Sappho 80
サッフォー。
新しくカテゴリー分けをした時に、アクセス解析がサッフォーを調べている人を見つけた。
という事で、また小惑星について気になってきたので、逐一まとめてみたい。
まぁ気が向いたらだけども...。
西洋占星術で出来るところまで誘導。
サッフォーなどアステロイドをホロスコープに出す方法は、
http://anotherweblog.blog.shinobi.jp/Entry/244/
という事で今回はその検索に引っかかったサッフォーについて書こうかと思う。
サッフォーは古代ギリシャの女性詩人だそうで。
占いは基本的に神話が多いが、これは実在するようだ。
記号は金星を二つ横並びに重ねた形。
そのまま女性の同性愛の意味もある。
そして金星なので美的感覚やらがくっついて、芸術的感性とも読める。
手元にある本によれば、
ロマンチックで芸術的な感受性の受容力。
あとは性的趣向、性的関心とあるから、金星でも情事に特化した感じかと。
そして例に出せば何かわかってくるかと思ったが、
他の人を出すのもなんだか可哀想な議題なので、取り敢えず自分で読むと、
♏26° 11H 水星・冥王とコンジャクション △火星 金星とセキスタイル
ここまでの情報で読めるのはまずこのサッフォーは11Hで発揮される。
つまり、友人やそこそこの人数のいる集団。クラブやら組織。
そしてこいつの性質は“新しい地域に引越してきて、キャンプするインディアン。”
団体とは別に個人の力を集めて試してみる。新しいことに挑戦する。
柔軟さ、実用的な知識の豊富さ。
どれだけサッフォーを意識するか。
水星コン→情報、思考、伝達の力がそのまま出るので、情事に関心が高い。
情事が終わった後によく話す。思った事をそのまま伝える。
コンだと上手く伝えるというより、そのまま伝えるってイメージかな。
あとは、詩人体質。というか、そもそも詩人のような文を書く人。
水星アスペクトが一番詩人っぽい。
冥王コン→金星冥王の絶倫具合は半端じゃないから、まぁ大体予想はつくけども、
情事後の感情の振れ幅が大きい。運命を感じる感じ無いに敏感。
芸術センスは極端。破壊的だったり、概念を壊すものだったりする。
ただ、想像力はかなり強いんじゃないか?冥王の力は引き出せば絶大。
パーソナル天体に合した場合。
太陽、月←ロマンチストで感受性が高い。芸術的感性が高い。女性なら百合要素(?)。
水星←上記と、恋愛の話を好む。
金星←太陽、月の解釈に加えて、性的関心が高い。女性的な性的魅力。
火星←異性との恋愛の興味が高い。性的関心が高い。男性的な性的魅力。
サッフォーが置かれてるサイン。
火←情熱的な性的表現。芸術ならダイナミックな表現。
風←会話での性的表現。(言葉責め?ピロートーク等)芸術なら言葉による表現。(詩、小説)
地←身体的、感覚的な性的表現。芸術なら自然の物を使った表現。触れる芸術等。
水←感情的な性的表現。芸術なら幻想的な、繊細な表現。
改訂しました。
10.30.20:48
有象無象。
有象無象。
型落とされた。
新しい表現は他の人にも派生する。
新しい創造を助ける。
占星術の語り口調が好きだったのに、
思わぬ思想の相違。
仕方ないね。
占術で癖やら何やら割と判る。
どうしてかというと、勿論細かいところもあるけども、
大部分を占めるのはその程度ということだ。
だからこそ、血液型占いなどという物が当たると思い込めるのだ。
人間は単純だ。それでいて複雑だと言うが、
それは見ている範囲が違う。
それは大雑把に言えば全て只のヒト科であるように、
ただ括る範囲が異なるだけ。
つまり、細分化すればするほど、
それはアブノーマル、マイノリティーである。
どんな普通のように見えた完璧な普通であろうと、
細分化すればマイノリティーでしかない。
確率はどんどん絞られて、
膨大な意味の無いデータを見せ付けられることだろう。
そして有象無象の集となる。
想像力は時に現実を引き寄せる。
思い込む力は身体、他環境さえも変えてしまう。
何故か。
それは人が思っているよりも想像するエネルギーは強いという事だ。
科学的≠現実。
何故か。
つまりそういう事だ。
ではそれに証明が付くか。
付かないだろう。
何故なら再現性が確立しないからだ。
そもそも再現性が必要な意味は何か。
それを定義するとは、どの場合でもそれが当てはまる事自体が定義であるからだ。
では問おう。
「”人間”に再現性はあるか?」
人間には当たり前に個体差がある。
そして境遇、生じた時間、それでまだ不平等を説く。
「好きな事だけすればいい」「嫌いな事をするべきだ」
何故この矛盾した自己啓発本が存在するのか。
何故なら、そこに個体差があるからだ。
人は知っている。個体差がある事を。
それと向き合う人、逃げる人、歓迎する人、抗う人。
でもどうやったってどうにもならない。
潜在能力にも限界は存在する。
賢い選択など無い。
ただ、相対的に想像する。
ある人は合理的に考えて、受け入れる事にした。
ある人は悲観的に考えて、逃げる事にした。
ある人は楽観的に考えて、歓迎する事にした。
ある人は反抗的に考えて、抗う事にした。
実はその人間が取る方法というのは決まっている。
意外とそれに振り回されているのだ。
自分が決めたと思っている方法だって、
他でもない別の何かが決めているとしたら?
あぁ、哲学は崩壊だ。
哲学は人間が選択できるという前提によって成立する。
その根底が覆されるわけだから、哲学は只の結果論だ。
宗教は贖罪という意味では崩壊する。
許しを乞う乞わないは意味が無い。
何故かというと、それが決まっていれば、それは罪ではなく、それでしかなかったからである。
でも厳密に言うなれば、“決められた”ものではなく、
“決まっていた”ものであろう。
これが人当たりの良い金星のような人間が言うなら誰もが信じるのだろうか。
これが人懐っこい月のような人間が言うなら誰もが信じるのだろうか。
但し、言っていることは同じだ。
もし気づけるとするならば、ここまでかもしれない。
原点回帰して何度も思考を巡らせたって、
生まれた意味など無いのだ。
何かに理由を付けたくなるのはここにいたと言ってみたいだけ。
しかしながら、通じるかもしれない。
既に人間の総意であり、膨大な歴史を背負った想いであるからして、
それは何処か違う所で影響を及ぼしているかもしれない。
なら魂の重さだけ、何処かで形成されているとしてもおかしくは無いだろう。
想いが世界を変えるなら、
それは通じるだろう。
この世界の外側にも。
10.05.22:05
隙間
何かを知る為に何が必要より
何でもない普通の事故に何も口から出ない
分かりやすく、一般的な幸福とはあまり縁が無いようだ
博打のような、しかしプログラムされたような、
そんな人生に、一体何が示されよう。
推測と中庸。
曖昧と判別。
所謂どんな未来にも正しい答え。
複雑すぎて伝わらない。
気持ちが全てではない。
が、全てを賭けてしまって、全てを倒してしまって。
賢く人生を見つけるは、物の分からぬ“賢さ”が必要よ。
何も言わずにいれば、何も聞かずにいれば、何も感じずにいれば、
何処かにたどり着ける。それが答えとは限らないが。
そもそも答えである必要もなく、十分を満たせていれば、
それで終わり。それでいい。
救いの範囲は広く取ってある。
そして、割に合わない。
強欲であること、何度も届かぬ先を望んで、身を滅ぼすのが最後。
分かった振りをして、冷静さを失う。
10の星が振り回し、5の元素がディールを補う。
確かに形を与えられ、その通りに気づかない。
そして気づくと同時に、それはどうでもいい事だとも気づく。
何故なら、やはりどれも同じ原理であるから、それ以上で無いから、
だからどうでもいいと言う。特別など存在しない。
だからと言って平等でも無い。何故なら、それは組み込まれ、形に嵌められ、
無理矢理に言葉にした風景のように、
それは人智を超えて存在するのだ。
きっと思っているよりも世界は狭く、
きっと思っているよりも“判る”範囲は狭いだろう。
決して交わる事の無い人を思うと、
その想像力は無意味である。
何故なら、それはその想像が無意味である事を前提に存在したから。
それもこれも無理に嵌められたのだ。形に。
数値と化そう。そうでしか知覚出来ないのだ。
09.26.20:19
無題
いつもは使わない感覚が刺激される。
何かを思う、何かに気付く。
割と分かりやすいものも、いつの間にか異形に。
普通に刺激されて、普通の風景と化すのか。
そもそもアウトサイドとは辛いものだ。
誰かに同意を求めるでもなく、認められるでもなく、
その行為そのものでもって存在する。
誰かが言うだろう。
人と違うとは何と愚かか。
きっと自分が思っているほど、自分はアウトサイドではなく、
きっと自分が思っているより、自分はアウトサイドだ。
便利な言葉が横行する中で、それで一括りにしてしまうには無理がある。
言葉は有限だ。
だからこそ無理矢理謂うも謂われぬを教えあおうとする。
私の水星と冥王星は随分人に全てを伝えたがる。
木星は人に物を教え、
MCは人を無理矢理救おうとする。
そこには理由がある。
人は選んで産まれる。
選んでなければ、都合の合わないことばかりだ。
そもそも人間の都合なんて不確かだが、
10の惑星に翻弄されるだけの運命なんて、
なんて幼稚だろう。
そもそもその程度という話。