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  • 08/24/02:32

03.24.23:29

消費する音楽。







今日も明日もカラオケですよ。

消費する音楽。













たわいのないことを書き連ねた、ほんとうに意味のない文章を、

飽きずにまた打ち込むのは

もうしょうがない私なのです。




この曲は好きだ。

何も願いがないから。思いがないから。

いつもの日常詩。

ただ私には他の世界。

でも日常詩と分かるのは、その風景をどこかで見たから。

たぶん。



きっと見つけられないし、見つからない。

私はそんな世界に居ない。

その世界の住人は共感し、

日常を思い出す。

私は新しい世界をそこに見る。



今日もcrossoで歌ったのですが、

カラオケの点数がすごく良かったので、

受からない教習のことは忘れて、テンションが上がりました故。

平均90点の最高92点。

満足。


占いをやっているのだが、

前から気になっていた紫微斗数を本格的に進めることにした。

どうも私の性質にあっているみたいで。

どんどん知識が増えていくようですよ。

でも生年月日だけでは占うことができないので。

時間も必要なのですよ。

なのであんまり占うことができなかったり。

でもデータはそこそこ持ってたので、

その方々順調に丸裸にしてますので、

もし結果が気になる方がいらしたらコメントでも打ってくださいな。

気づいたら結果お返しします故。

やって欲しい方は生年月日と生まれた時間と出生地を書いてくだされば、

やります故。





それにしてもこの占術はよく当たる。

そして私の先も決定した。

前からそうしようと思ってたけど、決心できたかな。

研究員としてやってくことになりそうよ。

今考えてるのは、心理学と占いの有用性。

まぁ誰かがやってそうだけども。

まぁアドバイスの端になればとは思うね。

ということで。








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03.10.20:29

生放送に於いて一つ。







生放送に於いて一つ。

前から来られている方以外は分からないとは思いますが、まぁ聞いてくれ。













放送の初め頃からいらっしゃった元メンバーのKさんという方がいらしたのだが。



前から占いの師匠として慕っていたのだが、

あまり来られなくなったので、コミュニティーのメンバーを見たら

そのKさんの名前が消えていたのだ。





何故なのかはわからないし、それは彼のみぞ知るところだろう。

故に推論など無用の長物なので省かせてもらうが、

兎にも角にも、私的にはとても悲しかったということなのだ。


Kさんはいつも占いの手ほどきについてたくさん教えてもらったのに、

私はあまり関与できなかったというのもあるし、

Kさんの役に立とうなど既に烏滸がましいことだったのかもしれない。


スカイプではまだコンタクトを消されていないだけ救いではあるが、

ここで言葉をかけようにも、私がログインをすれば消える始末。

明らかに避けられている感を感じずにはいられず、

何れかの時にまた言葉をかけれればいいなとは思いながら。


でもだからといって、師匠という位置は変わらず、そのまま残るのだから、

これからも慕い続けるのみです。




そして私事なのですが、

他の占い師さんに影響を受けて、

一から勉強し直そうかと思いまして。

しばらく失踪いたします。

前もそんなことがあったようななかったような。

まぁそれまでコミュニティーが存在していればいいですけど。

ということで。








また私の気が向いた時にでもお会いしましょう。













03.09.22:46

詩人。






詩人。

詩人とは、金にならん職業だ。













“ゆるい日の光  けむい朝露  浮かぶ山峰  白く反射する

  永遠に私の世界  止まった誰かの世界

  詩人に書かれるような世界ではないのに

  それを詩にしようとして新たな詩人は生まれる。”


 “朝に立つと  夜を想ふ”





03.05.20:45

何事故に哲学か。








何事故に哲学か。 なにごとゆえにてつがくか。

今日見た人生の哲学者にて。












今日見たテレビの人は、

どうも西洋哲学研究者だったらしいが、

それには先がないということに気が付いたらしい。

そりゃそうだ。

論理の飛翔の先には、元も子もない論理が出来上がってしまって、

未来を予想した哲学者の思想は、完全に戯言でしかないだろうからな。

わからなくもないが。

過去の天才にずっと縋るのも如何なものかと誰しもが思うだろう。

それは考えうることで。



そして彼は哲学者あるべきものにやっとたどり着いたと。

それは自らの人生のあり方について話すということ。

これからの人々のあり方について話すということ。

自然と共生し、命を感じること。一切の物には仏が宿る。

それが哲学という。


西洋哲学やら、日本哲学やら少し齧ったことがある人ならなんとなく分かると思うが、

まぁ哲学の進む先はどんどん退化しているのだよ。

科学が進めば進むほど、思想はどんどん原点に戻るってね。

そういう意味では最先端の考え方なのかもしれない。

人間の考えうるところなんて高が知れていて。

天才がつぶやいた言葉を今になっても研究する人たちの気が知れない。

まぁそんな世界なんだからしょうがない。

天才たちのつぶやきは絶対的に私の人生を変えるとでも思っているのだろうか。

何かを探してるには違いないけど、探してるって事は何を探してるか分かってないといけない。

そして、探すってことはもう分かってるってことだ。

確証が欲しいだけだろ。云々。




実際、哲学を学ぶってことは、考え方を身に着けるってこった。

自分では考えも付かない論議の展開方法とか、思想のあり方とか。

辞書でも哲学ってのは楽しむものだしな。

ただ、西洋哲学っていうものは、人間の根源って何という疑問にお答えできるものは持ち合わせてない。

性善説だとか性悪説だとかあるけどさ、一言で人間とは何者かなんて言えないだろ。

~の哲学者のフィルターより「人間は~というものだ。」とは言えるだろうけどさ。

結局何年も考えてきた命題には未だに結果は出てきてないし。

何年も論争を繰り返している派閥だってある。

だからいつも言ってるのは、結局自分で答えを出さなきゃならんってこった。

ただここで哲学の必要性について解くなら、

たくさんの方法論を加味した上での自分なりの生き方を決定できるってこった。

あなたの生き方はデカルトとかカントにマッチしたものかもしれないし、

もしかしたら、孔子とか儒教にマッチしたものかもしれない。

ただ、色々考える時に大いに役に立つだろう。



思想というものはいつも危険と隣合わせだ。

誰かから聞いた思想は、いわゆる危険思想とか言われたものだったりするかもしれないし、

純粋な心から生まれた思想は変換されて危険になるかもしれない。

まぁだからと言って思想を持ってはいけないとは言わないが。

結局人間の考えうるところということなのだ。

あなたは別に怖がることはないし、恥ずかしがることもない。

そして賢い人であれ。






















本当に賢い人というものは、

難しいことを難しく言うのではなく、

普通の人にも分かりやすく言える人である。

と誰かから聞いたことがある。




02.17.03:09

踏み出す一歩。






踏み出す一歩。

足を立てる。













毎日誰に聞かせる為でもなく、

ただただ歌うことを練習する。

誰かの為に歌っていると、自分の存在意義について何度も問うだろう。

“誰かの為に歌っているから、私在り。

 しかしながら、その『誰か』がいなくなったら?

 誰もいないのに私は歌うの?
 
 ねぇ、私なの?”




緩い存在意義に一喜一憂する若い芽よ。

あぁ見えぬ不安よ、衰退する自らの身体よ。

なんと人間らしく、愛らしいのか。

私は結局歌うことと描くことが好きなので、やっぱりそうする。

誰にも見られなくても、誰にも振り向かれなくてもやっぱりそうする。

そして自分の声がさらに向上することが私の中の幸せとする。

ただ、それは必ずしも万人に於ける向上とは限らないという前提がある。

批判の多さは人気の印とは言うが、

それにも一喜一憂するだけの若い曖昧な自信は、

やはり誰かの為に歌いたがっている証拠だろう。




技術を向上させればさせるほど、

誰かの為に、誰かの為に使いたくなる。

だけど、誰もいなくてもやっぱり歌う私は歌うのが好きなんだろう。

未熟だとか曖昧だとか考えることはとても安易だけど、

それを行動に移せるということは、必ず苦痛を越えなければならない。

届かない幸せと、届く苦しさ。

届く幸せと、届かない苦しさ。

自己完結型と、外向的苦痛。

まぁ結論を出すなら、ほんとに求めるものはそこには無いということだ。

人気過ぎた人々がどんどん人から離れていくように、

人気の無さ過ぎた人々が社会の冷たさを感じるように。



全てはここに終結する。

“やっぱり、歌うのが好きだから。”











思考は安易なり。

行動経験共に未熟でありながら、想像し得るのはやはり人間からか。

但し、皆がそこに行きつくとは限らない。

ある人はここで云う未熟という段階で幸せだけ捥ぎ取っていくかもしれないし、

ある人は未熟故に只々苦痛だけ捥ぎ取っていくかもしれない。

あぁ人生とは儚きかな。

どちらかしか経験し得ないのだから。

どちらも経験するということは、貴方は忘れ去られたことを嘆き、

やはり貴方は未熟ということなのだ。

あえてこれらを全て避けて通りたいなら、

“誰かの為に歌うな。”






皆さんに幸せが増えますように。

皆さんに素晴らしい目印が現れますように。

貴方は真っ直ぐに進め。

彼は呼んでいる。

そう偶像化した彼が、私の中で神聖化し、誰も知らないところで彼とは違う彼として、

私に現れ、目印を出す。

その前へ、何度も導かれ、進まれんことを。














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