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  • 08/23/09:42

07.09.05:20

思考の在り方の中。











思考の在り方の中。

思考実験なんなり。













まぁ分かってみても、分かってないとは言われそうだが。

出来かけの思考であるからに、何でも入りますよ。






理想化された世界。

今日も今日とて哲学を掻い摘んで。

延々と哲学的思想に挑戦をする。

まぁしかしながら答えの出ないものなんて山ほどあるわけで。

それを今も延々と考えている。

結果として個人的な思考が残るだけのような命題。

それだけ。

それだけ。




最近は至極哲学が面白い。

どうしようかしらん、哲学科にでも転学するかしらん。

でもまぁ就職どうすんだって話だがw

ビジネスやら経済やら政治やら科学やらをよく見るのだけれども。

読めば読むほどたくさんの考察を読むことになるわけで。

それから思考の仕方を学ぶ。

まぁそれまでにはデカルトの方法序説でも読もうかと思ってるのですよ。

個人的に興味があるのは心の哲学。

最初に読んだのが思考実験の話。

なんて面白いんだ!!と思った。

大学生やってる気分になった。



私が思う大学生というものは、

答えが出ないだろうという条件があって、

しかも答えが出ても出なくても生活に支障のない命題を

延々と語り続ける。

そんな時、嗚呼、なんて幸せなんだと思う。

だって意味が無いのですもの。




哲学的思想というものは全ての根源であって、

曖昧であったものに定義をしていくのですよ。

だけどもそれが実生活に生かされるまで行くには、

何段階も置くことになる。

しかも分からないぐらい奥深くに根付いている。

それをどれだけ色んな人と共有できたら良いだろうか。

平易な言葉を並べれば、きっと分かるのだろうか。

定義された言葉を並べただけでは理解に苦しむだろうから。

でもそれ故に文字数は膨大になるし、

実は分からない人には結局わからないのだろうよ。

だって分かる人は分からない人が分からないというのが通説。

でもそれでも分かるようになっているのだから、

可能であるのは事実だが、

それが言葉を越えてうまく伝わるか、

そんなことを思うのですが。

まぁ困ったことよ。




ウィトゲンシュタインは

思考は言語に依存するものなのか、言語に普遍なものか。

ということを考えている。

でもどちらの要素もありそうで。

そもそもの考えが出てきた要因を考えてみて、

どちらかがどちらかに成りすましていて、

それを思考で考えることができるだろうか。

そしてその実際が分かったところで、

それは完全に定義できたものなのだろうか。

それは試してみる必要があるだろうが、

その思考に粗はないだろうか。

まぁ必ず粗はあるのだけれども。

もちろん何度も批判を繰り返すだろう。

その度に洗練されていくとは限らないが。

全ての根源には哲学的倫理的な考え方が横たわっていて。

だけども概念なものなわけで。




それを学ぶには宗教が手っ取り早いと考えることもある。

何故なら、求めるものが似通っている部分が多いからだ。

それでもって、永くに渡ってたくさんの人々の思想を越えて来た。

その宗教の繁栄の仕方が迫害や強制であろうと。

しかしながら、この宗教というものを哲学という観点から見る場合、

どの宗教がどんな哲学を持っていて、

それがどれほど哲学であるのか、

それは宗教の売りの部分であったり、哲学から逸脱しているかもしれない。

しかも新たな哲学を見つけるには少し難しいのではないかと思う。

何故なら、それは哲学と取るべきか、完全に宗教と取るべきか分からないからだ。

それは完全に過去の哲学との照らし合わせから逸脱しないだろう。

とか考えているのですよ。

まぁつまりは宗教も面白いかなと思っているわけです。

お友達に言わせれば原初仏教がいいよ!!と言われているので、

そんなところを考えてみたりするのですよ。










よい哲学。

よい思考。









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07.07.15:15

人の出会いについて。







人の出会いについて。

人との出会いが人生を構成する。













そしてその人を構成するのだから、

人生に於いて人の対人運というものは無下にはできない。

ただそんな人が集まる場所だとか、

自分の欲しい人だとかが集まるような場所に行くことが

上に目指す近道だろうに。




ここ最近は人の往来が激しい。

いや、今年という表記の方がいいかもしれないが。

不安になることはありますよ。

だってまだ知らないのですから。

とにもかくにも、取り敢えずいろいろあるのですよ。



昔書いた私の落書き帳に、

“私自身、私が来月、いや、明日自分がどうなってるか分からない。”

“そんな私なのだから、一体誰が私の事を分かろうよ。”

と書いたことがあるけども、

今はほんとにそんな状況で。

今は驚くほど前の自分とは違うのだから。

驚くほど覚めているんですよ。

つい先月は随分昔の話。

そんな程度に。




変わってないと言われるけども、

随分変わったよ。

なんていうか、考えることを放棄したい、いや、深く考えることが麻痺してしまって、

ただただ口が回らなくなってる。

何も言えない。

気持ちが混雑し過ぎて、言いたいことがあるのだけど、言えなくなってる。






そんな程度。







07.03.17:20

気持ちの入った曲。







気持ちの入った曲。

私の場合は一人に一つの曲がある。













といっても気持ちが乗ってるものばかりだけども。

あの人はThe frayのHow to save a life

あの人はRadwinpsのふたりごと

あの人はフジファブリックの金木犀

あの人はポルノグラフィティのROLL

これらを聞くと思いだす。

あの時の気持ちやその人を。

歌い手の思いとは別に、

新しい意味を持った曲達は、

私の中で新たな意味を持つ。




でもだからこそ嫌な事もある。

思い出したくない気持ちだって思い出してしまう。

悲劇だと分かっている劇中に仄めかされる喜びの瞬間

それは完全に瞬間であり、一瞬だった。

だからくさいセリフは恥じらいとなり、

endingを思い出してまた泣いてしまうか、虚無感を感じることになる。

報われぬ気持ちを何度捨てて来た?

要らぬ世話を何度かけて来た?

苦痛でしかないこの作業を正当化しようと思うほど落ちぶれちゃあいない。

ただ無駄であったことだけあればいい。

希望は刹那、喜びは覆される、報われない、報われないんだ。

退廃思想だけを持ち合わせれるほど絶望もしてない

でも全て希望に満ちているわけでもない

そんな間に挟まれて。





06.29.22:15

元々何も存在しなかったのなら。







元々何も存在しなかったのなら。

元々何もしなかったのだろう。













幸せの形は分からない。

満たされると苦痛はないわけではない。

どれだけ心を傾けていても切れるというのは得意技。

積み上げてきた諸々を全て切れるというのは得意技。



ここは気づかれないだろう。

非公開の記事。

暫く置いて行こう。

暫く置いて行く。




全ては分からない。

不確定要素ばかりではないけれど、

でもやっぱり全て分からない。

幸せの形、守るもの、高尚な精神、高尚な知識。

やっぱりどれも分からない。

だからこの課題は置いて行こう。

それが私の指針であったけども、

この問題はあまりに果てなく大きい。

迷うことばかりだ。

つまり今の私には見つからないのだろう。

これから歳を重ねていっても、

分かるようになる気はしないけども。

この問題に、

何度も葛藤を続けて、何度も自分に問いかけて、我武者羅に自分を向かわせてきた。

自分の目指す目標であったが、

それはいつまでも見つからないのではないか。

誰が高尚なのかなんて分からないではないか。

自分の目指す理想像は自分の目指した理想像にはならなかった。

私はその先に何を望む?

魂を削って何を望む?

人間のことだ。やはり考え得る限りで、やはり伝え得るだけのことで。



倫理も哲学も心理学も宗教も占術もオカルトも音楽も芸術も全て読んだら分かるようになるのかい?

化学も物理も生物学も数学も全て読んだら分かるようになるのかい?

何を動機に生きるのか、何に向かって生きるのか。

高尚な精神が欲しい、その先に何を望む?




国境を越えたがるのは我が魂。

定期的に駆け出すのは我が魂。

無限に広がる人々の考えに、無限に広がる運命に、無限に広がる全ての命に。

偶然という名の奇跡を信じて生きていく。

人の思考を優に超越する物語を見るためには、

大いなる想像力と共感力と言葉を知らなければならない。

高尚な精神とはなんであるか。

高尚な知識とはなんであるか。

それに近づく為にはどうするべきなのか。

何が終わりなのか。




結果の分からない問題には触れないことだ。

何度考えても分からない問題には答えはない。

それは人それぞれに集約され、何の意味も持たない。

一般常識、人々の願い、理想それが全て私の思う高尚なことなのか?

だからこそいつまでも低俗で在り続けるのだろう。

低俗で満ち足りた人間が何故上を目指そうとする?

人間の潜在的な欲求なのかもしれない。

心だけでもと願うのか。






どちらにしろ、今は問題ではない。

今ではどうも答えは出ないらしい。

これからもでないだろうけども、

いつの間にか形になって、時間が無くなって終わるだろう。

目隠しをした状態でふらふらと歩く未来だけれども、

いつの間にか望んだように、

いつの間にか自分の思うように、

なるのですから。

心配はしていない。

それが私の答えらしい。

不慮に命を落としてしまっても、

不本意の場所で死に絶えたとしても、

やはり考え得る限りなのですから。













人間の素晴らしき生き様。

一生という名の人生論。














06.25.22:44

御都合主義宜しく排他的論理和。







御都合主義宜しく排他的論理和。

意味は無い。













漢字も米語も英語も楽しいことよ

知見の広がりは自分にとっては最大級の楽しみ

頭をフル回転させて理解しようとする言葉の端々はとてつもなく楽しい

新しい先、新しい知識、新しい概念、全てが美味しくてたまらない

好奇心という名の知識欲に突き動かされてるのはいつものことで

だが今の情報世界について言うなれば、私は一番幸せでもある

何故なら知識を吸収するのに意識せずとも情報は入るからだ

正しいものを篩い分けなければならんとは言うが、まずは知識が無ければお話になりませんので




これはどんな文でもそうだ

特にTEDを見ている時に思うのは、人文の知識だけじゃ意味がないということだ

人文の知識も数学も科学もそれなりに必要であることが分かった

つまりもっと勉強すればよかったということだな!!

そうすればあの情報はもっと面白さを持ったかもしれないのにと思うと、

なんともやりきれない気持ちになるわけで

受験勉強でもやり直してもいいのだけど、それは時間の無駄というもので

まぁ家に引きこもって何もしないよりはましかもしれないが

とにもかくにも自分に一番必要なものは言葉で

特に英語とか米語とかいうやつだ

これが分かればどうなるかって?

第一に、知識が入りまくる

第二に、話ができるようになってもっと人間を理解できる

これらができるようになるなんて涎が出る...。

情報を集めるのが捗るってこった。

価値観については学び続けなければならないけど、

とてつもなく面白そうだろう?













持つべきは一人。

敢えて言おう、あんたは一人だ。


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