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  • 08/19/02:05

09.07.00:14

9月の日。













9月の日。

永遠に続くような。















安堵感は辛さを滲ませ。

積もった物を載せれる機会は限られて。

辛い時期だと割り切っても、

辛い時期なんだから、

正直乗り越えられるか分からない。

終に乗り越えられない可能性の方が...。








広島に来た友達に、

甘えて、泣いた。

本当の意味での地元の景色は、

自分の辛い時期を思い出させ、

外の匂いは懐かしさを増幅させて。

自分達を表す最適な言葉の見つからない関係に、

甘んじたり、葛藤したり。

そんな諸々を全部抱え込んで、

何も分からなくなって、

漠然とした不安に、

甘んじて、泣いた。









ここまで生きて来れたのは、

正直、意味が分からない。

辛いこととずっと向き合ってきた。

自分を悲劇の主人公にして逃げてただろうなんてのは、

それでもしなけりゃ生きるなんて出来やしなかった。

だからそれで自分を責めるのは、お門違い。

まぁそれで生きてたかって言われたら、

生きてたって言うよりは、

日が流れただけだろう。




ただ死ぬ勇気が無かっただけだ。

死ぬのも色々と面倒なのだ。

だからまだ終わってないだけ。






まだ愛されているのに、

まだ愛されているのに、

まだ愛されているのに、

まだ愛されているのに、





終わらせたい気持ちが

増幅するのが、

この8月からいつかまでの流れ。





辛いのは時期なのだと、

辛いのは時期なのだと、

辛いのは時期だから、

割り切れるか?

割り切れていない。

目を逸らせられるか?

逸らせられない。

鬱病を抱え込んで戦った受験は、

やっぱりベストとは言えないだろう?

私は正当に頑張った。

ほんとにほんとに、この大きなハンデを。

頑張った頑張った頑張った。








頑張ったんだよ。

頑張ったんだよ。

頑張ったんだよおおおおおお
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09.02.16:56

誰かが。








誰かが。

東京夢物語。








ダイナマイトを持った悪魔が、

私の恋を終わらせてくれるんだ。

自由自在な場所移動が私たちを確実に助けてくれる。



“これでいいんでしょ?”
まつげを切って、眉毛を切って。
物心着いた頃から見えなかった目は、
見えないのではなくて、
縫われていただけだったのね。


私は彼に恋をしてしまった。
でもそれは悪魔の逆鱗に触れてしまった。
慕う気持ちを隠すことが出来なくて、
私は悪魔に縋り付いた。




「とってもいいご家族ですね。」
第一印象はそんな感じか。
家の中に売り物があるのは店屋特有の心持ちか。
この家族は12人の子供がいながら、母はおらず、
叔母が三人同居していた。 
「これ、食べて見てください。」
差し出された惣菜は、豆入りのキッシュ。
久しぶりに食べたご飯はこんなにも美味しいのか。

ここに辿り着くまでは、電車に乗り、バスに何時間も揺れ、それから車を経由しなければならなかった。
そして今からは東京に出る準備中。
この家族が初めて東京に出るのだ。
そして私はこの家でのガイド役ということだ。

そして、潜入捜査中でもある。





「いいじゃないの!私はあの人が好きなの!」
「いいや、ダメなんだ。彼はここにいるべき人ではない。」

「私が葬らねばならん。」
「そう、==よ。盲目である目に違和感を知らず育ったが、」
「それは生まれた時から盲目として育てられたからだ。」
「それは作られた盲目なのだよ。」
「生まれた時から私たちには逆らえないのだよ。幼き私の娘よ。」



縫い付けられた糸という名のまつげを切り、
厳重に正体を隠し続けた私の父の姿を初めて知った。

それはそれは穏やかなおじいさんであった。




_脈絡の無い夢は東京へ向かう。
 あのモノレールは毎回現れるけども、
 ほんとは何処に向かう為のものなのだろう。_




窓硝子の光る近未来的造形に、高速道路と木々が走り去る。

私達家族は東京へ向かった。





お父さんは用意周到だった。
変装服を持っていたし、ダイナマイトも持っていた。
ただし、彼が言ってしまった為、お父さんはすぐに見つかってしまった。
けど、お父さんは強かった。
少しずつダイナマイトを爆発させながら走り抜けて、
目的の場所までやってきた。
そこでは彼と私が待っていて。
そしてお父さんは特大のダイナマイトを投げ込んでくれた。
私はそれに向かって身を投げた。





「また派手にやったな。」
「それが私のやり方なもんでな。」
「じゃあ、逮捕させてもらおうかな?」
「まだ終わってやしませんぜ?」

「ん?....くっそ、逃げ足の速い奴め。」




これからはまた誰も知らない田舎でのんびり暮らすようだ。
次は海がいいとか言ってたから、好きなところで生きているんだろう。











まったり夢の話。

夢日記なんなり。









08.29.01:28

量産型音楽。







量産型音楽。

copy.&.paste.













情報の錯綜。

類似音楽の増大。増殖。

理想的コード進行は雛形。

膨張する感情を叩き込むだけ。

不安定な感情を叩き込むだけ。




可能性の探求。

Ideaがあれば音楽なのか?

Ideaだけで音楽はできぬ。




耳に心地よいコード進行は、

知らぬ間に洗脳。

音を選び、音を消費する。

そこに込められた心は無くとも、

成立するが雛形。

文脈が無くとも、

意味が無くとも、

単語で無くとも、

成立するが雛形。

同じ音が構成されて、

情報は駆け巡り、

陳腐な曲も、

たくさんの想いを乗せた曲も、

理想を追い続けた曲も、

一度情報の世界に乗り出せば、

量産型芸術と成り果て、

消費され、

何処かに捨てられ。


知る人が居なければ、

その曲は生きることもできず。

存在することもできず。






誰かが語らう歌。

それはその歌の長い歴史なのか、

新たに生み出された新しい歌なのか。




08.25.13:30

伝わらない気持ち。







伝わらない気持ち

が世界に、行き場もなく、人を狂わせる。













独りよがりの伝えたい気持ちは、

理解してくれる人を待つのだけど、

言葉にすると拙くて。



歌に乗せて何処まで伝わるだろう。

文字に乗せて何処まで伝わるだろう。

絵に乗せて何処まで伝わるだろう。

ひたすら待つのか?

ひたすら歌い続けるのか?

ひたすら描き続けて書き続けて。





乗せても乗せても何度乗せても、

伝わらない 伝わってない

その葛藤を続けながら伝えることを




止めない。









08.17.03:36

表現すること。







表現すること。

最近書いた音楽の話の追記。













昨日と今日の深夜にかけて、

ニコ動の公式生放送で、UVERworldのLIVEを見まして。

2010年の東京ドームのLIVEだったのですが、

途中から見て、まぁ聞きたい曲を聞いて帰ろうかと思ったのですが、

コメントでこの曲好きとか、そんな言葉に釣られて。

そのまま最後まで見たという訳で。

其れについて。



UVERworldの曲は直接的な表現が多いなと前から思ってて、

言葉の一言を深く考えさせると言うよりも、

その場でそのまま伝えるという感じなのです。

他の歌手ではなかなか難しい単語を、

何の躊躇いもなく歌い上げるのです。

まぁ戸惑いはあるかもしれないけど、だけども自分を貫くというスタンスを持っている。

そんな歌手なのです。



そんな彼らが今回のLIVEで、思いの丈をぶちまけていた。

社会からの厳しい視線とか、自分自身の気持ちとか。

それを見て思ったのは、

”表現とは何か。”



思いを込める事はできる。

でも伝わらないと辛い。

そう考えたら、皆に伝えたいというのは傲慢なのかとか、

技術力だけでもダメだし、

資質だけでもダメであるし。

彼の気持ちは痛い程分かる。

感受性だけは人一倍なもので。




そう考えたら、

いつまでも飽くことなく表現を続けることもいいとは思うが、

本当の意味で”表現”が出来ているのだろうかとか思う。

社会風刺を歌うこと?

涙させれる歌詞を作ること?

気持ちを乗せて歌うってどういうことなの?

それは技術とコンディションの問題なんじゃないのか?

そこに気持ちが乗っていても、伝わるのか?




そこに真っ直ぐ臆せずに歌詞に乗せたのが、

UVERworldだと思っている。

自分の思うカッコイイを追求し続ける姿は、

きっと見ている人たちが感じるよりも、かなり苦しいものだと思う。

彼は他人が思っているよりも強く苦しさを感じている。

だけども、メンバーや、たくさんの人たちが支えてくれて、

彼は生きている。そんなイメージが伝わった。

それを語る時の彼は、明らかに別人であった。



それは感受性が高くて、高過ぎてしまっていて、

それを言いたくてたまらない。

伝えたくてたまらない。

そして自分の納得のいくまで絶対に引かない。

そこの強さは、自分から出る力ではなくて、

周りに味方がいるから。

だから彼は音楽に集中出来るし、

表現したいことは表現し続けるし。

そして生きている。

そんな感じがした。







音楽や芸術に関わっている人っていうのは、

基本的に、精神疾患(そこまでいかなくても、そんな感じのもの)を持っていると思っている。

”辛い時にこそ、良い物が生まれる。”

これは間違いない。

辛い時程、伝えたい気持ちが強い作品が出来る。

そして、それは何年経っても色あせない。

だからこそ、本当に活躍出来ているアーティストは、

辛い時期だったり、辛い時期を経験した者のみ才能が与えられる。

感受性の強さは、精神の弱さにも繋がるが、

アーティストにとっては、それは強みであるし、作品を生み出す上で一番重要な事である。




だけども、そんな人は伝えたい気持ちが強すぎて、

表現出来ないと、自分が死滅してしまう。

だから表現したがるのだ。彼らは。

そして表現すること、それだけが彼らの唯一の生きる術なのだ。




そういう意味では、私も本当は表現する側に回った方が良いのだけども、

私は趣味として細々と、

本当の意味での”表現”とは何かについて模索する予定である。





曲を聞くと、その世界観が見えるこの豊かな感受性は、

表現することを待ち望んでいるから。

後々、バンドにでも入って、歌ってみれたらなぁとか思っている。












そんな事を考えてみる。

そんな20歳の夏。








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