08.08.18:13
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08.17.03:36
表現すること。
表現すること。
最近書いた音楽の話の追記。
昨日と今日の深夜にかけて、
ニコ動の公式生放送で、UVERworldのLIVEを見まして。
2010年の東京ドームのLIVEだったのですが、
途中から見て、まぁ聞きたい曲を聞いて帰ろうかと思ったのですが、
コメントでこの曲好きとか、そんな言葉に釣られて。
そのまま最後まで見たという訳で。
其れについて。
UVERworldの曲は直接的な表現が多いなと前から思ってて、
言葉の一言を深く考えさせると言うよりも、
その場でそのまま伝えるという感じなのです。
他の歌手ではなかなか難しい単語を、
何の躊躇いもなく歌い上げるのです。
まぁ戸惑いはあるかもしれないけど、だけども自分を貫くというスタンスを持っている。
そんな歌手なのです。
そんな彼らが今回のLIVEで、思いの丈をぶちまけていた。
社会からの厳しい視線とか、自分自身の気持ちとか。
それを見て思ったのは、
”表現とは何か。”
思いを込める事はできる。
でも伝わらないと辛い。
そう考えたら、皆に伝えたいというのは傲慢なのかとか、
技術力だけでもダメだし、
資質だけでもダメであるし。
彼の気持ちは痛い程分かる。
感受性だけは人一倍なもので。
そう考えたら、
いつまでも飽くことなく表現を続けることもいいとは思うが、
本当の意味で”表現”が出来ているのだろうかとか思う。
社会風刺を歌うこと?
涙させれる歌詞を作ること?
気持ちを乗せて歌うってどういうことなの?
それは技術とコンディションの問題なんじゃないのか?
そこに気持ちが乗っていても、伝わるのか?
そこに真っ直ぐ臆せずに歌詞に乗せたのが、
UVERworldだと思っている。
自分の思うカッコイイを追求し続ける姿は、
きっと見ている人たちが感じるよりも、かなり苦しいものだと思う。
彼は他人が思っているよりも強く苦しさを感じている。
だけども、メンバーや、たくさんの人たちが支えてくれて、
彼は生きている。そんなイメージが伝わった。
それを語る時の彼は、明らかに別人であった。
それは感受性が高くて、高過ぎてしまっていて、
それを言いたくてたまらない。
伝えたくてたまらない。
そして自分の納得のいくまで絶対に引かない。
そこの強さは、自分から出る力ではなくて、
周りに味方がいるから。
だから彼は音楽に集中出来るし、
表現したいことは表現し続けるし。
そして生きている。
そんな感じがした。
音楽や芸術に関わっている人っていうのは、
基本的に、精神疾患(そこまでいかなくても、そんな感じのもの)を持っていると思っている。
”辛い時にこそ、良い物が生まれる。”
これは間違いない。
辛い時程、伝えたい気持ちが強い作品が出来る。
そして、それは何年経っても色あせない。
だからこそ、本当に活躍出来ているアーティストは、
辛い時期だったり、辛い時期を経験した者のみ才能が与えられる。
感受性の強さは、精神の弱さにも繋がるが、
アーティストにとっては、それは強みであるし、作品を生み出す上で一番重要な事である。
だけども、そんな人は伝えたい気持ちが強すぎて、
表現出来ないと、自分が死滅してしまう。
だから表現したがるのだ。彼らは。
そして表現すること、それだけが彼らの唯一の生きる術なのだ。
そういう意味では、私も本当は表現する側に回った方が良いのだけども、
私は趣味として細々と、
本当の意味での”表現”とは何かについて模索する予定である。
曲を聞くと、その世界観が見えるこの豊かな感受性は、
表現することを待ち望んでいるから。
後々、バンドにでも入って、歌ってみれたらなぁとか思っている。
そんな事を考えてみる。
そんな20歳の夏。
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