08.08.18:13
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06.29.22:15
元々何も存在しなかったのなら。
元々何も存在しなかったのなら。
元々何もしなかったのだろう。
幸せの形は分からない。
満たされると苦痛はないわけではない。
どれだけ心を傾けていても切れるというのは得意技。
積み上げてきた諸々を全て切れるというのは得意技。
ここは気づかれないだろう。
非公開の記事。
暫く置いて行こう。
暫く置いて行く。
全ては分からない。
不確定要素ばかりではないけれど、
でもやっぱり全て分からない。
幸せの形、守るもの、高尚な精神、高尚な知識。
やっぱりどれも分からない。
だからこの課題は置いて行こう。
それが私の指針であったけども、
この問題はあまりに果てなく大きい。
迷うことばかりだ。
つまり今の私には見つからないのだろう。
これから歳を重ねていっても、
分かるようになる気はしないけども。
この問題に、
何度も葛藤を続けて、何度も自分に問いかけて、我武者羅に自分を向かわせてきた。
自分の目指す目標であったが、
それはいつまでも見つからないのではないか。
誰が高尚なのかなんて分からないではないか。
自分の目指す理想像は自分の目指した理想像にはならなかった。
私はその先に何を望む?
魂を削って何を望む?
人間のことだ。やはり考え得る限りで、やはり伝え得るだけのことで。
倫理も哲学も心理学も宗教も占術もオカルトも音楽も芸術も全て読んだら分かるようになるのかい?
化学も物理も生物学も数学も全て読んだら分かるようになるのかい?
何を動機に生きるのか、何に向かって生きるのか。
高尚な精神が欲しい、その先に何を望む?
国境を越えたがるのは我が魂。
定期的に駆け出すのは我が魂。
無限に広がる人々の考えに、無限に広がる運命に、無限に広がる全ての命に。
偶然という名の奇跡を信じて生きていく。
人の思考を優に超越する物語を見るためには、
大いなる想像力と共感力と言葉を知らなければならない。
高尚な精神とはなんであるか。
高尚な知識とはなんであるか。
それに近づく為にはどうするべきなのか。
何が終わりなのか。
結果の分からない問題には触れないことだ。
何度考えても分からない問題には答えはない。
それは人それぞれに集約され、何の意味も持たない。
一般常識、人々の願い、理想それが全て私の思う高尚なことなのか?
だからこそいつまでも低俗で在り続けるのだろう。
低俗で満ち足りた人間が何故上を目指そうとする?
人間の潜在的な欲求なのかもしれない。
心だけでもと願うのか。
どちらにしろ、今は問題ではない。
今ではどうも答えは出ないらしい。
これからもでないだろうけども、
いつの間にか形になって、時間が無くなって終わるだろう。
目隠しをした状態でふらふらと歩く未来だけれども、
いつの間にか望んだように、
いつの間にか自分の思うように、
なるのですから。
心配はしていない。
それが私の答えらしい。
不慮に命を落としてしまっても、
不本意の場所で死に絶えたとしても、
やはり考え得る限りなのですから。
人間の素晴らしき生き様。
一生という名の人生論。
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