08.08.11:26
[PR]
11.02.13:23
ルーン焼いた。
ルーンを焼いた。
楽しいね!
今回教えてもらったルーンが普通に流通してるやつとは違って、10文字ほど多くなっているものなもんで、作らねば無いということで。
ルーンは勝手なイメージで木のイメージがあって、
他のサイトでルーンは文字さえわかればおk!って書いてあったのと、
教えてくれた人が実に創造豊かなルーンを持っていたので、
それに感化されて作った次第。
最初の構想から木の素材は考えていたが、
まず木の板なんてどうすんの、ってなり、まぁ何度か迷った。
でも最初にホムセンに行ったので、ハンダゴテ使ったら焼けるんじゃね?って気付く。
実際にハンダゴテを使って木を焼きまくってるサイトたちを見て、意外といけるっぽい!となる。
木を焼くのってどうすんの!?って思ってたけど、ハンダゴテでやれる、しかもハンダゴテって百均にも売ってるという手軽さ。
そんなもんなのね!って思った。
そして素材探しに戻る。
最初の構想の時に、木を焼く方法に気づいてなかったので、
実は木のボタンとか使おうかと考えていた。
なので次に手芸屋さんに行った。
手芸屋さんを見ていたら、木のビーズが。
あー、これだなと思ったので、迷わず購入。
安価で34ヶ集めることができた。
そして百均でハンダゴテを購入し、早速取り掛かる。
最初は初めてのハンダゴテにビビりまくっていたが、
ちゃんとビーズを持つ方にゴム手袋をしていたので、
ちょっと当たってもなんとかなるという安心感から、
勢いでやってみると、意外にいけるもので。
じわじわと焼けるので、何回か当てないと焼けない。
逆に言うと、ちょっとずつ修正しながら当てられるというのが良かった。
しかもハンダゴテは先が細いので、深すぎず、とてもいい感じになった。
ただビーズなもんで曲線のフォルムに直線を書くのが大変だった。
でも時間をかければ意外といけるもんで。
こんな感じ。
かわいい。
こんなにかわいくできると思わなんだ。
かわいい、かわいい言いながら作ってた。
そして全部焼ききったとき、
手元のワンドが気になった。
ということなので、今さっき作ったばっかりのルーンに聞いてみよう。
ワンドにルーンを焼くのはどう思われか。
答えはダエグ。
焼けと言われた気がした。
焼いた。
それは立派なルーンワンドになった。
初めて持ったワンドを焼くのは相当緊張した。
もう一本あっても、こいつがメインって決めてるので、失敗はできないぞと。
ついでに昨日はケルト暦で新年なもんで、
この日に焼くのが一番いいだろうという感じ。
日も丁と、焼くのにうってつけの日だった。
ということで容赦なく焼いた。
後で言われたが、これ右から左の順に書いてるので、普通のルーンワンドの感じと違うらしい。
でも右利きのワンドなら、これがちゃんと順番に並ぶので、
右利きの術師ならいいね!と言われた。
このワンドはオークのワンドで。結構長い。約40cmくらいある。
一緒に買いに行ったルーンマスター兼魔術師が、
「ワンドは使いたくなる方がいいよ。だからデザイン重視の方がいい。」
ということなので、最初はプラタナスという占星術っぽい名前のワンドにしようかと思っていたが、
細身のフォルムと糸のデザインがかなり気に入ったので、これにした。
結果としては成功で。
かなり気に入っている。
ルーンの出来も最高で、占いの精度もかなり高い。
自分で占術道具を作ったのは初めてなので、すごい達成感がある。
そして愛着が違う。
次はジオマンシーのとか作ってみたい。
工作に目覚めた日だった。
PR
05.08.13:08
例えば。
例えば。
それがダメそうな時。
昨日占い枠をやってる主を占った。
んでその人は結婚を控えているみたいで、
満更でもなさそうであった。
まぁここまではいいのだけど、
ちょっとばかし問題がある。
その子のホロが圧倒的晩婚傾向にあること、
幸せな結婚生活をそのホロからは見いだせないこと。
星回りで先の方に大恋愛の兆候があること。
結婚は一度で済まなそうなこと。
その主は今年で22歳。
あっ...。
これは...結婚あかんやつ...。
ま、まぁもしかしたらすごいいい感じの相性の相手かもしれんし(困惑)
でもこんなこと、言えないよね...。
晩婚じゃないとこの子幸せになれんというか、そもそも結婚で幸せになれないというか...。
キャリアウーマンで恋愛に生きる方が幸せになれるホロなのに、
もう結婚目前になっちゃってて、
すでに手遅れやった...。
そもそも結婚をすることを薦めた他のプロの占い師は節穴だ。
すごいいい相性を示した相手としても、この子の性質を分かっていない。
十分読めていないとこんな悲劇が起こってしまう...。
それを知ってからは打つ手が止まった。
なんというか、それさえももしかしたら運命なんやろうなぁと思った次第。
03.26.17:13
その後。
その後。
ニコ生での某生主。
今小惑星のことについてまとめているのだけれど、
ちょっと休憩がてら、あの人どうしてるんだろうと思って。
その人は占い放送をしている人で、
まぁ正直その占いのレベルがどうとかより、
そこにいたリスナーさんの方が興味があったので、
その生主さんには興味は無かったのだが。
んでツイッターを読んでみたら、
対面の占いをする為に上京したらしい。
そして対面鑑定に既に疲れを感じているらしい。
電話鑑定の方が暇な時別のことが出来るだとか、
人の入り具合がまちまちだとか。
普通の事に愚痴っている。
お客さんに凄いとは言われても、お客が来ないと意味がないし、
持ち合わせている占術がタロットだけだからなのかとか、
まぁいろいろ悩んでいらしゃってた。
その人はどうして対面なんてしようと思ったのだろうか...。
占いに振り回されるのはダメ!とかいいながら、
こんなに活用出来て無いのに、何を言い出すんだろう...。
タロットで命占が出来ないとは言わないが、
正直なところ、その精度は保証しない。
そもそも再現性が無いので、所謂数秘術を使ってタロットで解釈するだけ。
勿論数には意味がある。だけど、数秘だけでは足りない。
だからと言って自分のやっている西洋占星術が本当に万能という事でも無く、得手不得手がある。
解釈には様々な論理やイメージが関わってくるので、
正直これだけという定義的なものは、実は無い。
ただ、大なり小なりそうなりやすいという事だけは分かる。
そしてそれがどうやってやってくるのか、どう体現されるのか、
それを読み解くのが命占の役割だと思っている。
東洋と西洋の命占は見ているものが違う。
いや、どちらも天体だが。
東洋はヘリオセントリック占星術である。
所謂地動説から生まれた占術方法である。
そしてざっくりと見る事が出来るので、その人の善し悪しがはっきり分かる。
そして開運法が特に発達している。
西洋は天動説から生まれた占術方法であるが、
天文学的な読み方をするので、地動説的観点からも見る事も出来る。
その代わり提示される情報は混乱を極め、
それ故にやればやるほど暗礁に乗り上げやすい占術法だとも言える。
そして概念として、
本人の良いところは伸ばし、悪いところは知って治す、よって認知療法である。
西洋では開運法と言うものは無いに等しい。
少なくとも東洋には劣る。
そもそも開運というより、気づいて治すという考え方であるから、
自由意思がある中での話だというわけである。
占いで命占を見ているのに、”自由意思”である。
それは取り敢えず置いといて、
東洋の占術もある程度知っている方なら、西洋だけ使うという事はしないだろう。
西洋は悪い部分を教えない。
いや、厳密に言うと悪い部分も出るが、
それを悪いとは言わない。
良い部分を伸ばそう、良い部分を見ようとする。
だが、これだけで人生の悩みが晴れるようなら、それはほっといても晴れていただろう。
実際に運が悪いという時には運の良い方向を選ばないものだ。
だから占いカウンセラーなんてものは、もっと悪い方向に行ってしまう可能性がある。
いや、悪い方向に行くようにしか見えない。
本人には良いものが見えていないのだから。だから辛くなってここに来るのだ。
私には西洋占星術の師がいないので言いたい放題だが、
取り敢えず個人を見るのに、ネイタルだけの判断は無理がある。
今の状況(ダイレクション、トランジット)も加味しなければならない。
そして彼らに一番良い時期や場所、行動を伝えねばならない。
木星が必ずしも良い訳じゃない。土星が必ずしも悪い訳じゃないのだ。
場合によってはとても有用に動き、場合によっては困難をもたらす。
基礎的な部分ではあるが、本当に大事な事である。
ただ、それをどう見れるか、どう知るかが占師にかかっている。
一度だけ占い師に見てもらったことがあるが、
正直、お金の無駄であった。
本当に理論が分かっていれば言わない事を行ったり、見るべきところを間違っていたり、
だからどうすればいいのかという質問の答えにも裏付けが見えなかった。
何故そんなに安直に占師になるのか私には分からない。
まぁそもそも占師になろうと毛頭も考えていないからかもしれないが。
少なくとも、誰かの運命がここに預けられたという考え方が出来るような占師は、
そしてそれを導けるだけの技術を持った占師は、
本当に少ないだろうし、そして且つ、良い顔をしているはずである。
10.30.20:48
有象無象。
有象無象。
型落とされた。
新しい表現は他の人にも派生する。
新しい創造を助ける。
占星術の語り口調が好きだったのに、
思わぬ思想の相違。
仕方ないね。
占術で癖やら何やら割と判る。
どうしてかというと、勿論細かいところもあるけども、
大部分を占めるのはその程度ということだ。
だからこそ、血液型占いなどという物が当たると思い込めるのだ。
人間は単純だ。それでいて複雑だと言うが、
それは見ている範囲が違う。
それは大雑把に言えば全て只のヒト科であるように、
ただ括る範囲が異なるだけ。
つまり、細分化すればするほど、
それはアブノーマル、マイノリティーである。
どんな普通のように見えた完璧な普通であろうと、
細分化すればマイノリティーでしかない。
確率はどんどん絞られて、
膨大な意味の無いデータを見せ付けられることだろう。
そして有象無象の集となる。
想像力は時に現実を引き寄せる。
思い込む力は身体、他環境さえも変えてしまう。
何故か。
それは人が思っているよりも想像するエネルギーは強いという事だ。
科学的≠現実。
何故か。
つまりそういう事だ。
ではそれに証明が付くか。
付かないだろう。
何故なら再現性が確立しないからだ。
そもそも再現性が必要な意味は何か。
それを定義するとは、どの場合でもそれが当てはまる事自体が定義であるからだ。
では問おう。
「”人間”に再現性はあるか?」
人間には当たり前に個体差がある。
そして境遇、生じた時間、それでまだ不平等を説く。
「好きな事だけすればいい」「嫌いな事をするべきだ」
何故この矛盾した自己啓発本が存在するのか。
何故なら、そこに個体差があるからだ。
人は知っている。個体差がある事を。
それと向き合う人、逃げる人、歓迎する人、抗う人。
でもどうやったってどうにもならない。
潜在能力にも限界は存在する。
賢い選択など無い。
ただ、相対的に想像する。
ある人は合理的に考えて、受け入れる事にした。
ある人は悲観的に考えて、逃げる事にした。
ある人は楽観的に考えて、歓迎する事にした。
ある人は反抗的に考えて、抗う事にした。
実はその人間が取る方法というのは決まっている。
意外とそれに振り回されているのだ。
自分が決めたと思っている方法だって、
他でもない別の何かが決めているとしたら?
あぁ、哲学は崩壊だ。
哲学は人間が選択できるという前提によって成立する。
その根底が覆されるわけだから、哲学は只の結果論だ。
宗教は贖罪という意味では崩壊する。
許しを乞う乞わないは意味が無い。
何故かというと、それが決まっていれば、それは罪ではなく、それでしかなかったからである。
でも厳密に言うなれば、“決められた”ものではなく、
“決まっていた”ものであろう。
これが人当たりの良い金星のような人間が言うなら誰もが信じるのだろうか。
これが人懐っこい月のような人間が言うなら誰もが信じるのだろうか。
但し、言っていることは同じだ。
もし気づけるとするならば、ここまでかもしれない。
原点回帰して何度も思考を巡らせたって、
生まれた意味など無いのだ。
何かに理由を付けたくなるのはここにいたと言ってみたいだけ。
しかしながら、通じるかもしれない。
既に人間の総意であり、膨大な歴史を背負った想いであるからして、
それは何処か違う所で影響を及ぼしているかもしれない。
なら魂の重さだけ、何処かで形成されているとしてもおかしくは無いだろう。
想いが世界を変えるなら、
それは通じるだろう。
この世界の外側にも。
10.20.03:35
もやもやするので。
もやもやするので。
Marilyn MansonのPVを久しぶりに見る。
人生の選択についてはいつも議論されてるけど、
普遍的な何かを問うて、答えを定義したいのが哲学。
人それぞれ何だから仕方がないと言ったのは心理学。
歴史それを答えとしたのが宗教学。
沢山の人達が同じ轍を踏むのだから、答えは分かっているはずだと。
それでも人は迷う。
今はそれについて、“個体差”であると言っているけど、
それは答えじゃない気がする。
だからと言って、一人ずつのオーダーメイド哲学が全ての答えという訳でも無さそうで。
救いは無いんですかと問い続けて、
本当の答えなんてあっただろうか。
占いだって結構勝手だ。
特に思うのは西洋占星術に関して。
開運という考え方が無いのか、若しくは救いは神に委ねているのか分からないが、
悪いですね。で終わってしまっている。
翻訳されてないだけかも知れないが、
それならそれと、何か書くだろうにと思うわけです。
ついでなので、占いの本に言いたい事をもう一つ。
複雑なホロスコープを読むだけの知識も必要でしょうが、
それが決定的になる為には、やはりトランジットとダイレクションの動きも読まないと意味がないと思うのです。
ネイタルでは~が病気になりやすいとか、そういうのは読めるけども、ほんとに発動するのは、きっとトランジット。
タロットは物凄い当たる時と当たらない時があるから、今は特に命占を意識している。
占いの本はほんとに断片的にしか教えてはくれない。
それだけ例えを出したところで、それは結果論だったり、無理矢理だったりするんだから、
ほんとに発動したのかについて気をつけなければならない。
つまり、何だかんだ言って、経験も知識も必要って事で。
そもそも先生を持たぬ独学勢に、ほんとに勉強しようと思ったら、
それは洋書を読むべきだし、歴史や、神話についても手を出さないといけなくなるだろう。
終わり無き占術への勉強...。
本題に戻ると、(最近は占いについて話し出したら止まらない病です。)
自分の最善へ最短で着くにはどうあるべきかという話。
迷うことの必要性も感じるけども、
かなりの人が間に合ってない時点で、それは苦しめるだけの物になることもある。
沢山の社会現象を占星術で読めたとして、
私達の世代は壊滅状態なのは目に見えてて。
それでも生きるのを続けろというのは酷な話で。
生きる事の面倒くささや、生きる事の無意味さに気づいてしまえば、
何度だって迎えに来られるわけで。
それを拒み続けれるだけの強さを持ち合わせることができて、
回避できる運命を持つなら、
強要することだって可能だ。
だけど、それが出来ない人がいるってことに、
何故気づかないんだろうか。
何度同じ轍を踏むよ。