08.09.05:57
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01.26.21:14
仮想空間。
仮想空間。
TV。
たくさんの色眼鏡に囲まれて、
最早最初の視力を無くす。
どうしても合理主義に成らざるを得ず、
また同じ過ちを犯す。
バイアスのスレが流行っている。
認知に対する考え方は人それぞれだ。
正直定義したもの勝ちなところも否めない。
人間はいつでも不確定因子である。
だからこそ、判断の付かないものは信憑性を求めて、
何かを指標とするが、
異論だってたくさんある。
でもそれでもそれを初見で選ぶのは何故?
いろめがね
お昼にはヒルナンデスを見たりする。
そこでは飽きることが無いのだろうか、
毎度の様に、同じような食べ物やら服やらを宣伝する。
更に当然の様に、用語を連発する。
とは言えこの遠い地方では何の意味も無く、
仮想空間。
これはNHKで見る海外のレポートの様に同じだ。
結局自分の舌には入らない。
感じることも出来ないし、目だけカメラの視線に強制されるのである。
乙女漫画もファッション雑誌も理想的な生活のイメージでさえ、
所詮仮想でしかない。
何故仮想を求めるだろうか。
現実に疲れてしまった。
あちらではそれが現実なのに、
ここはこれが現実だと言う。
だから飽きずに東京とか行ってしまう。
それはさながら避暑地の様に。
更にそのイメージは質が悪く、
現実に叶うのではないかという考えも持たせる。
実際に待っているのはもっと変わってるよ。
「大人は夢と現実の区別がつく。」だとかなんとか言ってるけど、
実際に区別がついてないのは大の大人で。
少しも分かっていない。
環境の変化は、それに伴う行動があってこそである。
ただ、それは本当に叶うライフスタイルなのか。
仮想空間に憧れるこの気持ち自体は、
君達が嘲笑っているオタクと同じだ。
気持ちはどちらにしろ自宅に引き籠もり、仮想空間を夢見るだけの存在。
もし、そこに行動が伴えば、
仮想空間から現実へ引き込めるだろう。
何故って、現実の扉は既に開いている。
仮想空間から現実にするには、
イメージを冷静に書き起こすことから、
決定する。
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01.16.03:57
どちらからともなく。
どちらからともなく。
だれかがいったわけでもなく。
最近は忘れられない気持ちに浸りたくなる日が多い気がする。
そういう時なのかもしれない。
そしてどうにもならない気持ちを、
どうしようもなく持て余すのがこの想いの終末。
そしてその気持ちにあった曲を探すのがとても面白いんだ。
んで今取り留めない想いを載せるのは
Vance JoyのRipetide。
気持ちを整理する事で見えるのは、
結局どうにもならない事だろうとか、
結局、結局、結局...。
そうやって堂々巡りをするので、
もう諦めて今の勉強をするのです。
ついでに今年の恋愛運は去年に引き続き悪いので、
既に来年に期待。
そうやってどうにもならない事を考える。
そう、思い出したきっかけがあったんだ。
今年の1月4日に高校の同級生が帰省するから、飲み会をしようという話。
そしてこの二年間無駄に美味い店を渡り歩いてきた私は
その店を予約し、
私含め5人で女子飲み会をすることとなった。
そして飲み会に行く前にカラオケかゲーセンにでも行こうかと思い、
一時間程早めに本通りに。
そしてやっぱりカラオケとゲーセンではお金を使うだろうから行かずに、
パルコにでも行こうかと。
そもそもあっさりした服を着ており、何かアクセサリーが欲しいなぁと考えていたので、
そこのG.U.でパールネックレスを安く買いご満悦。
ついでだからそこのヴィレッジヴァンガードで本でも読んで時間潰すか。
「あ。」
その時に元彼さんとすれ違った。
あっちも気付いた。
私も気付いた。
気付いた後、すぐに姿は消えた。
何というか、逃げられた。
いつもの緑のトートバックに、私も持ってるユニクロのダウン(同じ色)を着ていた。
調子は変わりなさそうで、
どうにも話などしたくなさそうだった。
ここから離れたい、必死さだけ顔に出てた。
私は立ち尽くして、
心拍数が上がって、
冷静になるのに時間がかかった。
そして暫くして一言挨拶でも出来たら良かったのにと後悔した。
言いたい事はたくさんあった。
でも敢えて一言にするなら。
”本当に迷惑をかけてごめんなさい。”
だろう。
ナイーブな彼にあまりにもたくさんの暴言を吐いてしまった。
何度も反省したから、謝罪をして許される訳では無いけど、
でも今はそれが彼の良さなんだと素直に思える。
仕事をして、成長して、やっと彼が言っていた意味を知る。
自分は阿呆なやつだなぁと言わざるを得ない。
助け舟や正解をたくさん持った人だった。
だけどもそれを素直に受け取らなかった。
でもだからこそ、この結末が必要だったのかもしれない。
思うことも知ることも、
多分これが無ければ、こういう経験が無ければ、
これが真実だったとは思わなかっただろう。
そしてだからこそ純粋にそのままでいて欲しいと思うんだろう。
自分の知らない所で、
何事も無かったかのように幸せになって欲しい。
そして自分もこれからまた探しに行くんだと、
そう言いたい。
12.27.22:47
Nikon D5300
東京観光。
今年最後。
なんだかんだ結構行ってる。
但し、今回は少し違う。
いつもは写真を撮らないのだけど。
何故なら、ファインダーを除くことに注視してしまうからだ。
旅行なのに、ファインダーばかり覗いてしまえば、それはカメラの旅行になってしまう。
だから持っていくことが無かった。
しかしながら、記憶の限界を感じつつあった。
あの時どんな事を思っただろう。
どんな世界があっただろう。
あの時どんな景色があっただろう。
日に日に薄れていく記憶に、虚しささえ感じた。
そして友人がいい一眼レフを購入したのもきっかけになった。
今までトイカメラで遊んではいたが、フィルム代、現像代が馬鹿にならなくなり、
最近では全く撮ってなかったのである。
そして調べれば調べる程カメラが欲しくなり、
遂に購入に至ったのである。
購入したのはNikon D5300 18-140 VR レンズキットである。
当初は赤色に惹かれていたのだが、
実際に実物を見て考えたのは、一眼たるもの、黒であるということで。
他にも被写体に写ると嫌だ。とかあるのだが、
このずっしりとした感じが一番馴染むのだ。
そして、一眼を調べていくうちにやりたい撮影法が山ほどあったので、
N5300だと色んな方法が出来るらしいので、購入に至った。
ダブルズームという望遠レンズのついているセットもあるが、
そもそも望遠をあまり使わない。
本格的に望遠するなら、セットでは満足出来ないだろうという判断で、見送った。
実際に今一番欲しいのは単焦点レンズとNDフィルターなので、望遠の出番はまだ先の様だ。
そして今回の東京観光の目的は、
RIP SLYMEのクリスマスLIVEであった。
しかし、自分にとっては一眼を使うまたとない機会で。
高層ビルが好きすぎて、いつも壁紙やらテーマやらは高層ビル一色。
画像も数知れず。
東京に行く度に、高層ビルや雑多な雰囲気に陶酔しているのだ。
その写真を自分で撮ることが出来る。
この気持ちはあまり理解されないのだが、例えるなら、
憧れのギターメロを弾く事を、一瞬で叶えてくれる。
ギターは何ヶ月も何年も必要とするが、
写真は一瞬だ。そしてそこには新しい世界観が上乗せされる。
それだけの衝撃なのだ。
構図やら方法やら色んな物があるが、
それよりも本能的に好きな部分を切り取って、
何枚かに一枚自分が気に入ったものが撮れる。
”この写真、あの写真家さんみたいなのが撮れた!”
”同じところから撮ったのに全然違う!”
シャッターを切る度に新しい景色が見える。
そして最近の一眼の流行りなのか知らないが、
液晶画面を動かす事が可能で、
実際に人ごみを避けて上から写真を撮る時の楽さといったら、言うまでもない。
ファインダーを覗かなくても撮れてしまうのだから、凄いと思う。
そんなこんなで一番やりたい事は何かというと、
最近流行りのTimelapsである。
数年前から気になってはいて、好きな動画があるのだが、その動画のカメラはCanon EOS kiss 4であった。
何故Nikonにしたか。
Canonの耐久性に問題があるらしいというのを小耳に挟んだのが一番大きい。
カメラは持ち出してなんぼである。
何万円しようと、持ち出さなければ宝の持ち腐れなのである。
だから色んなところに持っていきたい方としては、出先で壊れてしまっては困るのだ。
あとは、人物よりも風景を撮りたい方としては、
人物特化のCanonとは相容れないとも思ったのである。
今ではPhotoshopさえあれば何の問題も無いらしいが、
それを加工するだけの面倒さを考えると、敢えてCanonにする意味も感じなかったからである。
他にも写真部の一眼持ちが皆CanonのEOS kissシリーズだったというのもあるが。
とにかく、Timelapsの基本絞りを絞って、シャッター開きっぱなしを試して遊んでみた。
少し失敗しているが、なによりやりたかったのが光のフレアぐあいと、
人の影、車のライトのラインであったので、
シャッターの開く時間、人のスピード諸々考えればもっと面白くなると思った一枚である。
そもそも三脚を持っておらず、手すりにカメラを固定して写真を撮ったので、
とにかく三脚が欲しいと思った
冬。
11.24.04:06
おやすみプンプン。
おやすみプンプン。
新しい思い出になるもの、今までの思い出のもの。
ネタバレは無い。抽象的に。
新しい音楽にも聴き慣れた音があれば、
やはり心躍るもので。
滅多に女性ヴォーカルの曲は聞かないのだけども、
久々にiTunesの仲間入り。
10年ぶりに漫画を購入。
10年前の漫画はデスノート全巻。
今回は“おやすみプンプン”という漫画で。
評価はどうもあまり芳しくなさそうだ。
ラストの締めが何やら彼やら。
しかしながら、私にとっては最高の終わりであった。
この漫画は心理描写がかなり巧みだ。
それはそこら辺の小説を超える。
そして漫画なのに、とてつもなく小説的だ。
何故かと言うと、例えば小説はとある街、
基本的にファンタジィはあまり読まないので、現代の街中を想像する。
そして地名やら、雑踏やらが想像されるのだが、
それが想像ではなく、そのまま絵として表現される。
想像をそのまま写し込んだその絵は、やけに現実的に浮かび上がる。
登場人物達も分かりやすい。
自分基準で考えても、理解のしやすい、言うなれば感情移入しやすい性格であった。
今思えば、感情移入をしやすくしていた小さな心遣いが存分に散りばめられていたのだと思う。
しかしながら、流してしまいそうなその行為が、人物を生々しく表現されうるのだろうから、
やはりそれは必要であった。そして置いて行かれなかった。
その偶然は、その行動は、辺鄙な様でいて、驚く程現実的だ。
ここに存在してもなんのおかしくもない。
否、そもそもここに存在するものはこの漫画より奇なり。
それぞれ何かを背負いつつ、だけどもいつまでも続くような坂道を転がる。
悲劇の終焉へ向けて。
前を向くもの、後ろを向くもの、足元を見つめるもの、遠くを追うもの。
病的な程の執着心。無理矢理に前を向く。
二人の相対する女性は自分を見てるようだと、吟味した時に気付いた。
割と直接的に、何度か彼氏の首を絞めたのだ。緩く。
殺すだの、死ぬだの、そんな事は割と日常茶飯事であった。
そもそも鬱病を患っていた身。何度自殺を考えたか分からない。
でもだからこそ、異常な彼氏を殺したい意思が理解できて、
昔の自分を見ているような感じがした。
昔はもっと叙情的であった。抽象的であった。まさに近いものを感じずにはいられなかった。
そしてもう一人の女性の状態は今の私だ。
誰かに頼らずにはいられない。
考えているようで、自堕落。
無理矢理に社会性を身に付けて、納得しようとする横顔が、いやに印象に残った。
悲劇へと転がり落ちる。
だが、それでいい。
私は全てが丸く収まる事を望んでいなかった。
その葛藤をそのまま受けてくれてよかった。
この終わりこそ、主人公に関わった他の人達への供養なのだと思った。
そして繰り返されるのは悲劇ではない。
それを思いながら、
溶け込んでいく、姿が見えなくなるほど、溶け込んでいく。
10.05.22:05
隙間
何かを知る為に何が必要より
何でもない普通の事故に何も口から出ない
分かりやすく、一般的な幸福とはあまり縁が無いようだ
博打のような、しかしプログラムされたような、
そんな人生に、一体何が示されよう。
推測と中庸。
曖昧と判別。
所謂どんな未来にも正しい答え。
複雑すぎて伝わらない。
気持ちが全てではない。
が、全てを賭けてしまって、全てを倒してしまって。
賢く人生を見つけるは、物の分からぬ“賢さ”が必要よ。
何も言わずにいれば、何も聞かずにいれば、何も感じずにいれば、
何処かにたどり着ける。それが答えとは限らないが。
そもそも答えである必要もなく、十分を満たせていれば、
それで終わり。それでいい。
救いの範囲は広く取ってある。
そして、割に合わない。
強欲であること、何度も届かぬ先を望んで、身を滅ぼすのが最後。
分かった振りをして、冷静さを失う。
10の星が振り回し、5の元素がディールを補う。
確かに形を与えられ、その通りに気づかない。
そして気づくと同時に、それはどうでもいい事だとも気づく。
何故なら、やはりどれも同じ原理であるから、それ以上で無いから、
だからどうでもいいと言う。特別など存在しない。
だからと言って平等でも無い。何故なら、それは組み込まれ、形に嵌められ、
無理矢理に言葉にした風景のように、
それは人智を超えて存在するのだ。
きっと思っているよりも世界は狭く、
きっと思っているよりも“判る”範囲は狭いだろう。
決して交わる事の無い人を思うと、
その想像力は無意味である。
何故なら、それはその想像が無意味である事を前提に存在したから。
それもこれも無理に嵌められたのだ。形に。
数値と化そう。そうでしか知覚出来ないのだ。