08.08.04:42
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10.16.21:13
ずっと。
最近は毎日のように呟いてる
愛しても意味は無いと
もう何百回目だろう
それくらい言ってる
この気持ちを救おうともしないし、
まぁ救われることなんてない
意味は無い
そればっかり
悲観じゃなくて、
持て余してるだけ
溢れ過ぎるのを
持て余してるだけ
毎日のように夢に出てくるのに
そろそろうんざりしてきた
間違いなら間違いで、そのまま消えてしまえ
気持ちなんぞ無い方がいい
だからなんだと言う感じだ
だからどうしろというんだ
欠点を与えるだけの馬鹿な本だ
愛しても意味は無いと
もう何百回目だろう
それくらい言ってる
この気持ちを救おうともしないし、
まぁ救われることなんてない
意味は無い
そればっかり
悲観じゃなくて、
持て余してるだけ
溢れ過ぎるのを
持て余してるだけ
毎日のように夢に出てくるのに
そろそろうんざりしてきた
間違いなら間違いで、そのまま消えてしまえ
気持ちなんぞ無い方がいい
だからなんだと言う感じだ
だからどうしろというんだ
欠点を与えるだけの馬鹿な本だ
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10.16.09:17
意識がある状態。
意識がある状態。
今のうちに。
久しぶりに安定剤を入れた。
全身が痒い。
そしてまた10年後に意識が戻る。
だからそれまでに、その先までに、書く事書いとかないとと思って。
この時期は言葉をずっと言わないでいた。
言うのがはばかれるような、そんな感じだ。
あえて言わないでいいと思ったことは言わなかった。
意識がある状態だから、それでもやって行けて。
これからは無意識の状態だから、まぁ死ぬしかない。
ってことで、また10年後会いましょう。
08.08.01:00
事実は。
事実は。
小説よりも奇なり。
23歳の夏。
どんな未来があるのかは分からないけど、
今は部屋のクーラーが効いてて、そこで棒つきキャンディーを舐めながら、
キャンドルがもうないから注文しないといけないとか、
花火放送良かったなぁとか。
今日もあの人と通話できて良かったなぁとか考えてる。
それについて少し話そうか。
最近はよく生き急いでるように感じる。
なんか自分が考えないといけないことを全部今一度考え直させられている感じだ。
そしてその状況に対して不安はデカイ。
でも思うこともある。
なんていうか、思っているより世界は単純だ。
意味はない。
言葉があるから難しく考えるし、言葉があるから伝わらない。
常識は人それぞれで、感じ方もそれに因る。
どこまでも不器用なやつらと、
どこまでも単純なやつら。
面白さをずっと求めるには、多分傷つけあうし、想いは不安定だし、
でも思っているより状況は単純で、
思っているよりこの世はわかりやすくできている。
直感だとか霊感だとか言いたい放題で、
何が本当なのかすら気づけなくなっている。
もっと別の言い方があったのか、それともこの言葉に余計な意味を持たせてしまったのか。
言葉を交わす度に、もっといい言い回しあっただろうと思う。
自分はまだまだガキだと思っているし、
でも自分は大人の一人だとも思っている。
難しく言いたいだけなら学者になればいい。
複雑にしたいならもっと言葉を抽象的にしろ。
複雑に思わせたいなら語彙力は要らない。むしろ邪魔だ。
言葉が無いからそういうことになる。
ちょっとズレた。
言いたかったことは、単純だ。
自分が思っているより大人はガキくさい。
こいつらやっぱり何も考えちゃいない。
責任がとか、そんなどうでもいいことに心底酔っている。
自分が思っていた大人は美化されすぎていた。
もっと話の通じるものと思っていたし、
もっと理性に生きて、もっと自分から自立して、もっと自己実現していて、
もっと自分を知っていて、もっと知識が沢山あって、
もっと生きることを知っていると思っていた。
でもそういうことじゃない。
知識はただの武装でしかなくて、そこにあるのは生かされない知識だけ。
理性なんてあったもんじゃない。
結局無意識で生きている。自分の思うように生きたいだとかしてる。
自分のこともわかってない。だから周りを気にする。
もっと生きることを知っていると思った。
でも違った。
むしろ自分の生きることは生きてしまった過去で。
後悔が無いなんてことは無かったし、失敗もあったろう。
そしてその毎日が全て過去になって自分の中に存在する。
そしてその過去が自分を形成して、
その過去がこれからの自分をも縛っていく。
垣間見えたのはそういうこと。
意思も形も全てに於いて、
過去からわかったことなんてこれっぽっちで。
沢山の本を読んでも、知識と色眼鏡だけ携わって。
このもやもやした気分をどうやって言おうかな。
やっぱり考えすぎたんだろうな。
生きることって、単純だなぁ。
08.01.04:24
寝れない。
寝れない。
いや、起きてるからかもしれないけど。
寝れないから、おやすみプンプンを読み返してみたり。
そしたらなんだか前に読んだよりずっと理解できるような気がした。
最初に読んだのはいつだったっけなぁ、
忘れちゃったけど、まぁ思い出せなくてもいいか。
特に叔父さんの言葉とか考えてることとか、理由とか。
今いろいろあって知り合ってる友達が割と同じようなことで悶々してて。
そういうこととかあって、
んで過去の事も、今思ってることも、理性ぶっ飛んでんなこいつって思うくらいいつもは絶対言わない事も、
全部聞いて。
多分葛藤の中に言い訳にして何もしないことも沢山あったろう。
言葉の端から伝わってくる状態も、
言い淀む癖に隠すのが下手くそな人で。
私も一般常識っていうフィルターがぶっ壊れてるから、
もしかしたらもっと拾ってあげられたのかもしれないけど。
でも多分それ以上を求めてないだろうって自分の中で勝手に処理してる。
はっきり言葉で聞いてやっと現実に落とし込む。
そして聞いた話は小説よりも奇なり。
そして普通で、陳腐で、
凝り固まった頭であれでもない、これでもないと言い続け、
自分の力で何とかしようとする愚の骨頂で。
意見を求めない行為は、おそらく自尊心の高さの裏返しで。
傷つきたくない、馬鹿にされたくない、浅い考えがそこにある。
こんな事を言ったら笑われるだろうかとか、
今までこれを真剣に悩んできた自分が無碍になるんじゃなかろうかとか、
そんなことを考えている。
だから中途半端で何も解決に進まない。
人は変われると豪語しながら、自分のやっていることをよく分かっていないようだ。
客観的に見れればもっと楽になっただろうに。
主観的になっていることに気づいていない。
気づく必要が無いから。なぜならその状態に甘んじている。
本気で思われたことが無いのか、変えようとされなかったのか、
向き合うことの助け舟を誰か出してやらなかったのか。
どっちにろ機会に恵まれなかったのだ。
そして向き合うことを恐れて、また酒に溺れる。
また自分のことを惨めだと叫ぶ。
自分の価値を思えない。
失格だとか、無意味だとか、
まぁまたそんな感じなんだと思う。
それは自分も分かる部分でもあるし、
それだけ承認されてないんだろうなとは思う。
いろいろこじれてそうなのは天体で知ってたし、
何癖かあるような感じはしてたから。
でも今問題になっていることに対して、
冷静な判断は難しいだろう。
年を取ると人は離れがたくなる。
陳腐な毎日も、手放すのを怖がる。
そしてずっと同じ毎日を過ごして、
納得はしていても不満を残す。
じゃあどうしようか。
衝動的な力は外力として天体が与える。
それに気づけば、ずっと足は進むことを求められていることに気づく。
もっと自由になろう。
それは自由になることでも思考だ。
思考から自由になればいい。
その自由になる方法を、
説き与える機会を、
向き合う助け舟を、私が出そう。
04.14.10:53
11日の出来事
11日の出来事
福祉施設に入っていたおじいちゃんが、大学に帰る日に危篤になって、(確か6日)それから11日に亡くなりました。
93歳の大往生だった。
最近の事で言うなら、うちが倉敷の短大に行くことになって、その入寮の時に来てくれたこととか、
入学が決まったけど学費が足りなかったのをおじいちゃんが支援してくれて、それで学校に行けていることとか、
思い出したら切りがないほど良くしてくれた。
自慢のおじいちゃんだった。
一度脳梗塞で倒れて、それから一年。
短い間だった。
11日に連絡が来てから、新幹線で飛んで帰った。
12日にお通夜があって、初めて体を洗うのを見た。
そして顔を拭いてあげた。
皆泣いてたし、うちも泣いた。
お通夜は短かった。
13日に葬式をした。
朝はおばあちゃんを病院に連れていって、注射をしてもらったりして、朝からバタバタしていた。
初めて納骨まで行った。今まで身近な人で不幸がなかったから、幸せなことだったなぁと思った。
おじいちゃんの人生の語りは辛くなった。
ほんとに可愛がってもらってたから。
花を手向ける時は泣いた。
葬式も短かった。
なんていうか、別れる時間ってこんな短いのかと思った。
お通夜、葬式とほんと色んな段取りがあって忙しくて大変だったから、短さが際立ったのかもしれない。
納骨の間は従兄弟とか、従兄弟の旦那さんと話をした。
従兄弟の旦那さんは医者をやってるから、色々話をした。
おじいちゃんが骨になったのを見るのは、まだ現実感がわかない感じだった。
骨自体は学校上割と見ていたけど、自分の身内が骨になるのは辛い気分だった。
第一脛椎と第二脛椎を入れるとか、頭蓋骨を割って入れるとか、ほんとに驚くことばっかりだった。
そして案外骨って入れないんだなぁと思った。
大腿骨頭とか、腰椎とかは入れないんだなぁと。あと骨盤もか。
そのあとご飯を食べて、従兄弟達と話をして、家に帰って。
そして今広島から倉敷に戻っている。
電車の中でズビズビ言いながら書いていた。
ほんとは今日の夕方にでも帰ろうかと思っていたけど、実験があるので、やっぱり帰った方がいいと思ったのと、
葬式が終わると親は大変だけど、自分はあまりすることが無いので、帰っておこうということである。
おじいちゃんが背中を押してくれた。
この勉強頑張らないとなと思った。